ようこそ!  室蘭教会へ

 

 

 

 

 室蘭教会は、1886年に、室蘭郡長であった田村顕充が、

東北学院を創立した押川方義をこの地に招いて伝道を始め、

今年で136年を迎えました。

 

 

「日本キリスト教会」に属し、

北海道で七つめのプロテスタント教会として誕生した歴史のある教会です。

 

 

 「日本キリスト教会」は、1859年、横浜港開港とともに来日した宣教師によって伝道が始められた、

日本で最も古いプロテスタント(新教)の教会です。

 現在、日本全国に約140の教会があり、

小説『氷点』で有名な三浦綾子さんも、日本キリスト教会の会員でした。

 

 

 

 世界的には、ドイツのマルティン・ルターとともに、

16世紀にスイスで宗教改革を行った、

カルヴァンの信仰の流れを受け継ぐ改革派・長老教会の伝統に立つ教会です。

 

 

 

新型コロナウィルスの対策について

 ・礼拝堂入口に消毒液やウェットティッシュを置いていますのご利用ください。また、緑茶を用意しています。

 ・礼拝堂、集会室の換気に留意しています。

 

日曜学校・みくにっ子文庫の保護者のみなさまへ

 ・新型コロナウィルスの感染症予防対策として、手洗いや消毒、机や椅子の消毒など衛生に留意しています。

 ・余裕をもって座れるようにし、換気のために窓や部屋の扉を常時開けています。

 

日本キリスト教会 ロゴ

                ✣

 

 

教会の沿革 ―― 130年のあゆみ

#日本キリスト教会#室蘭教会#130年史#教会史#北海道中会#1886年

   伝道開始 ……… 1886年7月11日

   伝道所建設 …… 1892年7月11日

   教会建設 ………  1926年7月11日

 

 

     詳細▷▷


礼拝・集会案内(来週の礼拝)

#日本キリスト教会#室蘭教会#週報

 2022年11月27日の礼拝

 

聖 書 ルカによる福音書1章46―56節

 

説 教 マリアの讃美

 

説教者 西村ひかり

 

 
▶今週の聖書通読と祈り◀
(互いを覚えて祈りあいましょう)

 

・祈りの課題

 72回日本キリスト教会大会のために

 

 聖書 エフェソの信徒へ手紙3713

 

 

 

 「わたしが受けている苦難を見て落胆しないでください」(13節)とパウロは言います。信仰をもつことは、安寧な生活が保障されることではありません。パウロをはじめ、初代教会の多くの人が殉教しました。しかし、それは落胆ではなく「あなたがたの栄光」だと言います。信仰によって、わたしたちは、どんな状況にあっても希望をもって大胆に、神に近づくことができるのです

 

 

 

集会案内

 

主日礼拝      日曜日 午前1030

みくにっ子文庫   日曜日 午前  930

聖書の学びと祈り会 水曜日 午前1030

青年会       日曜日

求道会       第2日曜日

ぶどうの集い    第3日曜日(偶数月)

壮年会       第3日曜日(偶数月)

 

 

■■■■■■

礼拝奏楽

■■■■■■

特別なお知らせ

 

 2022

10月16日(日)

10月23日(日)

 

二週連続

 

オープン・チャーチを開催しました

 

#日本キリスト教会#室蘭教会#オープン・チャーチ
室蘭教会 オープン・チャーチ

#日本キリスト教会#室蘭教会#オープン・チャーチ
室蘭教会 オープン・チャーチ

神さまはあきらめない」

A面:捜し続ける」

 

20221016

 

ルカによる福音書15章110節

 

たとえ話は神さまの恵み、愛と支配を私たちにわかりやすく表している。この物語はよく知られ、子どもの頃からくり返し聞いてきた方もいるであろう。先生はまず、そのように語られました。

 

百匹の羊を持つ羊飼いの物語である。たくさんの羊を野原に連れて行く羊飼いは、一匹一匹をちゃんと区別し、大切に見守り育てていた。だからこの羊飼いはたった一匹の羊が見失われた時、見つけ出すまで捜し回った。一匹でも見失ったら捜すのは当然のことであろう。このようにイエスさまはたとえ話を語っておられる、と語られました。

最初によく聞くたとえ話だと述べた。この話をうたう「こどもさんびか」などでも心に残っているのではないかと思う。実はこうした讃美歌や絵本には、聖書には書かれていないことがずいぶん加えられている。羊飼いが一匹の羊を見失ったという場面で、私たちは、この羊はどんな気持ちなのかと考え、羊の思いに心を寄せるのではないか。心細い思いをしているのかもしれない、群れを離れて泣いているかもしれない、あるいは、やっと飼い主から解放されて自由になってせいせいしたのかもしれない、と語られました。

しかし、このたとえ話には羊の気持ちはいっさい書かれていない。そのことが大切である。では、何が書かれているのかというと、その一匹を見つけるまで当然のように捜し回り、見つけたら喜んでその羊を担いで家に帰る羊飼いの姿である。そして、その喜びようは極端であり、友だちや近所の人々を呼び集めて、一緒に喜んでください、と言う。これは、失った羊を懸命に捜し出し、見つかったことを極端に喜ぶ羊飼いの話である、と語られ、そのことが、さらに強調されているのが8節以下のもう一つのたとえ話である、と語られました。

十枚の銀貨の中の一枚を失くした人のことが記されている。羊と違って、銀貨となると、失くなった銀貨の気持ちなど誰も考えないであろう。これは、一枚の銀貨を失くした人が、見つけるまで念を入れて捜すのが当然だ、という話である。十枚の銀貨はこの女性にとって本当に大切なものだった。結婚する時、母から娘に、十枚の銀貨を首飾りのように綴って受け渡される大切なものであったとも言われる。一枚でも欠けてしまうと、完全な首飾りではなくなってしまう。失くした銀貨がほんとうに大切なものだから、この女性は、念を入れて捜し回った。この女性もまた、これを見つけて喜び、友だちや近所の人々を呼び集めて、一緒に喜んでくださいと言う。戻ってきた喜びがどれほど大きなものなのかということがここに表されている。銀貨にその思いは伝わるだろうか?  そう思いつつ、たった一匹を見つけ出すまで捜し続ける飼い主の熱心、見つかった時の飼い主の喜びを思い起こしたい、と語られました。

 

聖書に記されるたとえ話は神の国、神の愛と支配を表すものだと最初に述べた。神さまが私たちをどれほど愛しているかが表されている。捜される私たちはさまざまであろう。神さまのもとを離れるということを辛いと思う人もいるであろうし、逆に自由を得たと考える人もいるであろう。糸の切れた凧のようにさまよう人生であっても、本人にはその自覚はない。しかし、本来の飼い主から見れば、それはどれほど危ういことかと思う。どこから来てどこへ行くのかわからず、自分の命の価値を知らずにさまよい出てしまった一匹の羊、これが私たち人間の姿である。私たちは自分の命は自分のものであり、自分の人生の主人は自分であるのがあたりまえだと思って生きている。しかし、自分の命を自分で生み出せる人はいない。私たちは、命を与えられ、愛されて、今私この世にある。造り主である神は、それを知っている。糸の切れた凧のようにさまよう人間が寂しく危うい存在であるかを神さまはご存じなのである、と語れました。

 

このたとえ話は、私たちに命を与えてくださった神さまが、手元から離れ、失われてしまった私たちを愛し見つかるまで捜し続けてくださり、見つけた時に、驚くほどに喜んでくださることが記されているのだ!  私たちは飼い主である神さまに見つけ出してもらった時ですら、それがどれほどうれしいことなのかを気づかずにぼんやりしている羊や、何も考えることをしない銀貨であるかもしれない。しかし、聖書は私たちが神さまのもとに戻ることを、神の天使たちがほんとうに喜ぶことを記す。私たちはそれほどに喜ばれてはじめて、自分が神さまに愛される価値のある者と知るのだと、教えてくださいました。

 

礼拝は、神さまが私たちをこの世から呼び出してくださる場である。自分の命は自分のものだとしか考えない私たちは、この命を愛し抜いてくださる神さまに呼び出されてはじめて、驚きとともに、喜びをおぼえる者なのではないか。私たちは、聖書を通して神さまが熱心に捜し求めてくださることを聴き、今まで知らなかった自分自身の存在の価値に気づかされる。同時に、神さまは、私たちの隣り人をも愛し、捜し出してくださる。そのことを通して私たちは、隣り人と共に、互いに愛される存在であることを知るのだ、と語られ、神さまが捜し出してくださることからはじまる私たちの人生は、多くの隣り人とともに神を讃美することによって、神さまの喜びと祝福に満たされたものであることを深くおぼえるものである、と教えられました。

 

 

語られたメッセージをとおして、私たちは、神さまに捜し求められていることを聴き、自分の価値をあらためておぼえることができました。

そして、隣り人と共に、神さまから愛されている存在であることを、互いに喜びあいたいと願っています。

 

**

 

2022年のオープン・チャーチは、一つのお話しを二つ側面(A面とB面)から聞きました。

10月23日(日)は、B面「待ち続ける」でした。

 


神さまはあきらめない」

B面:待ち続ける」

 

202210月23日

 

ルカによる福音書15章11―24

 

 

 私たちは「神さまはあきらめない」というタイトルで二週に亘って、二つの側面から御言葉を聴きました。

 

 私たちは、見失った羊と失くした銀貨のたとえ話から、大きな喜びが天にあるという話を聴きました。

 ここには、見つけ出した人の喜びは書かれているが、羊や銀貨の思いは聖書には記されていない、と語られ、その思いの一端を知ることができるのが、続いて語られる「いなくなった息子(放蕩息子)のたとえ」である、と語られました。

 

 二人の息子を持つ父親がいる。弟息子は、生前贈与してもらい、すべてを金に換えて父のもとを離れる。自分の財産を思いどおりにしたかった彼は、糸の切れた凧のように好きなように暮らし、何もかもを使い果たしてしまった。羊の物語には書かれていない迷い出た羊の気持ちをここに垣間見ることができよう、と語られました。

 

 しかし、折悪しくその地方に飢饉が起こり、弟息子は食べるにも困ることとなる。弟息子は父のもとを離れ異邦の地にいた。そこで豚の世話をするしかなくなる。彼の育った地域では宗教的に豚を忌み嫌っていたから、いくら落ちぶれても、豚に触れるなど考えられないことだった。しかし今、豚のえさを食べたいと思うほどすべてに窮していた。

 すべてを失って、彼は我に返る。父の家で、自分がどれほど恵まれていたのかを思い起こす。飢え死にしそうになった彼は、父の家に帰ることを決心する。

 彼が父に会って言おうと考えた言葉の中の「罪を犯しました」という言葉に違和感をもつかもしれない。自分の分け前を貰って使い果たしただけで、法に背いてはおらず、彼は犯罪者ではない。けれども聖書ではしばしばこうしたところで罪という言葉が使われる。聖書でいう罪とは、誰かと誰かのあるべき正しい関係が壊れてしまったことを表現する言葉である、と教えてくださいました。

 弟息子は父から財産をもらう権利はあった、しかし、父と息子のあるべき関係を崩してしまった。ここではそのことを罪だと言うのである。

 教会で使われる罪人という言葉は、自分に命を与えてくださった神さまとのあるべき正しい関係が破れてしまっている人、神さまから命を与えられたのに、まるで自分の命を自分で生み出したかのようにふるまっている人。誰によって生かされているかを考えもしないことを罪というのである、と教えてくださいました。

 

 弟息子は父とのあるべき姿を破ってしまった自分の罪を自覚し、息子と呼ばれる資格はないと考え、雇い人として父の家に住まわしてもらおうと考える。

 ところが父親は、まだ遠く離れていたのに息子を見つけた。

 説教題を「待ち続ける」とした。何年も経っているのに、まだ遠く離れていた息子を見つけたことに、父が何年もの間ひたすら待ち続けていた様子を見ることができる。

 父はただ待っているだけではなかった。息子のところに駆け寄り、憐れに思い抱きしめるのである。

 息子が父に言おうとしていた「雇い人にしてください」という言葉さえ聞く前に、父は、急いで僕たちに服を用意させ、指輪を与え、履き物を履かせる。肥えた子牛を屠り食べて祝おうと言う。この指輪は息子であることの証しである、と教えてくださいました。

 

 雇い人どころか、「この息子は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったから」と言って、もう息子と呼ばれる資格はないと思う弟の帰還を、父は喜び祝うのである。その喜びようは常識はずれに思うほどである。羊を見つけ、銀貨を見つけ大喜びした持ち主のように、全財産を使い果たしたこの息子の帰還を父は喜ぶのである、と語られ、これが聖書に記される神さまの姿であり、神さまと私たちの関係のたとえである、と教えてくださいました。

 

 私たちは自分のすべては自分のものだと疑いもしない。しかし、この息子は自分のものはすべて自分のものだと考えて生きた結果、すべて失い行き詰まってしまった。異国の地でのたれ死にしても仕方がない。ただ、この息子にはかすかな記憶があった。自分が父に愛されていたこと、父のもとには本当の豊かさがあったことを思い起こすことができた。このことによって、本来のあるべき命に立ち帰ることができたのである、と語られました。

 

 私たちもこの息子と同じである、と聖書は語る。私たちは、父を思い起こすことができるだろうか?

 その私たちに聖書は語りかける。「あなたは愛されている。あなたを捜し続け、待ち続けている神さまがいる」と。

 私たちの心がこちらに向かうことを待ち続け、走り寄って抱きしめてくださるのだ、と語りかけている。私たちが神のもとに立ち帰ることを、神さまは本当に喜んでくださるのである、と教えてくださいました。

 

 私たちは、それなら神さまのために何かおかえしをしなければならないと思うかもしれない。弟息子が「雇い人にしてください」と言おうとしたように。しかし、そう言う前に、父は息子のすべてを受け入れていた。聖書に記される神さまは、ただひたすらに私たちの命を愛し、この命があるべきところに戻ることをおおげさなほどに喜んでくださるのである、と語られました。

 

 私たちは失われた羊のように羊飼いの胸に抱かれながら何が起こっているのかわからないでいる頼りない者かもしれない。そのような者を神さまは捜し続け、待ち続け、走り寄り、抱きしめて、喜んでくださるのだ!、と教えてくださいました。

 

 礼拝は、神さまの招きの言葉によって始められる。神さまのこの大げさな喜びに招かれていることをおぼえ、私たちも感謝と喜びの讃美をささげたい、と語られました。

 

 

 

語られたメッセージをとおして、私たちが神さまのもとに帰ることを、神さまは待ち続けてくださっていることを聴きました。
 
私たちは、失われた羊や銀貨のように、何が起こっているのかわからない者かもしれません。しかし、このような者をさえ、神さまは捜し続け、待ち続けていてくださること、そして、ほんとうに喜んでくださっていることを、おぼえることができました。

 

**

 

2022年のオープン・チャーチは、一つのお話しを二つ側面(A面とB面)から聞きました。10月16日(日)は、A面「捜し続ける」でした。

  礼拝は、毎週日曜日、10時30分からおこなっています。

 

 どなたでもおいでになれます。

 


2022年も

むろらんカルチャーナイト

参加しました

 

ご来場くださったみなさまに、

パイプオルガンに親しんでいただければ幸いです。

#日本キリスト教会#室蘭教会#むろらんカルチャーナイト

高齢者 体の不自由
ソファを設置しています             ご高齢の方、体の不自由な方のために
#日本キリスト教会#室蘭教会#クリスマス#ステンドグラス
2020年クリスマス
#日本キリスト教会#室蘭教会#クリスマス#ステンドグラス
2020年クリスマス
#日本キリスト教会#室蘭教会#クリスマスイブ#讃美礼拝
2020年クリスマスイブ讃美礼拝

住所・教会へのアクセス

日本キリスト教会 室蘭教会 地図
日本キリスト教会室蘭教会

 

  室蘭市幸町5—16

  電話(0143)22—6086

  E-mail: nikki-muroran@sea.plala.or.jp

 

  JR室蘭駅から徒歩8分

  室ガス文化センター北隣り

  教会中庭に駐車場があります。

 

  教会周辺に無料の駐車場があります。

 

  ♣お知らせ

  室蘭工業大学から室蘭教会までの

  バス時刻案内

 

  道南バス

  循2中央町工大循環線

  (鷲別~中島)(中央町行)

  工大 9:23 市役所北 10:05着

 

  循1中央町工大循環線

  (中島~鷲別)(中央町行)

  工大 9:43 市役所北 10:25着

 



わたしたちの教会

#日本キリスト教会#室蘭教会#画像#イラスト#絵はがき
絵画:志田光男

日曜学校

みくにっ子文庫(お話し会)

 

日曜学校ってどんなところ?

神さまって、ホントにいるの?

イエスさまって、だれ?

聖書には、何が書いてあるの?

 

日曜学校は、こういったことを一緒に考えながら、楽しく過ごすところです。

ぜひ、来てね。待っています!

 

みくに幼稚園保育室で毎週日曜日9時30分から開いていますよ。

 

* * *

 

毎月第三の日曜日はお話会!

「市政だより」でも紹介されています。

面白い本がありますよ。

好きな本を、文庫の人が読んでくれます。

ぜひ来てください。

 

 

 

みんな、おはなし会にあつまれ!

12月18 日のお話会のプログラム

 

 読み聞かせ

 

 ともしび

 (きどのりこ・鈴木靖将

 

 さみしがりやのサンタさん

 (内田麟太郞作・沢田としき絵)

 

 まるいちきゅうのまるいちにち

 (安野光雅編)

 

 文庫にはたくさんの

 絵本や児童書があります。

 

 好みの絵本を探してみて

 

 ▶お知らせ

 2023年1月1日から、

 お話し会を

 毎週おこないます。

日本キリスト教会室蘭教会

牧師紹介

牧師 西村ひかり

 

福岡県久留米市に生まれる

 

生年月日

1961年9月15日

 

出身校

北海道教育大学函館校(養護学校教員養成課程)

日本キリスト教会神学校

 

歴任教会

加西伝道教会、池田教会

フォトギャラリー

#日本キリスト教会#室蘭教会#おもしろ看板#聖句#求めないから得られない#おもわず二度見#画像#写真#聖書の言葉#ヤコブ4:2
求めないから得られない ヤコブ4:2
#日本キリスト教会#室蘭教会#おもしろ看板#聖句#豚に真珠#おもわず二度見#画像#写真#聖書の言葉#豚に真珠
豚に真珠 マタイ7:6
#日本キリスト教会#室蘭教会#おもしろ看板#聖句#目からうろこ#おもわず二度見#画像#写真#聖書の言葉#目からうろこ
目からうろこ 使徒9:18
#日本キリスト教会#室蘭教会#パイプオルガン
パイプオルガン

パイプオルガンの演奏・奏楽を

聴くことができます

パイプオルガンの紹介

 

設置年 19787

 

製作会社 ケーベル工房(ドイツ)

 

鍵盤数 2MP2段)

 

ストップ数 13

 

パイプ数 942

 

 

道内、札幌コンサートホール、北海道大学クラーク記念館、札幌北一条教会につぐパイプ数。

 

 

 

鍵盤5ストップ

 

鍵盤6ストップ、
ペダル2ストップ&プルダウン

●Hauptwerk C-g'''
Rohrflote 8'
Principal 4'
Sesquialter I-II
Waldflote 2'
Mixtur IV

●II. Positiv C-g'''
Gedackt 8'
Kleingedackt 4'
Oktave 2'
Quint 1 1/3'
Zimbel II
Oboe 8'

Tremulant

●Pedal C-f'
Subbass 16'
Pommer 8'

II-I,I-P,II-P
Mechanical action

 



 

室蘭教会オリジナル讃美歌

 

日本キリスト教会 室蘭教会 オリジナル讃美歌
日本キリスト教会室蘭教会オリジナル讃美歌

 

聖書フィリピの信徒への手紙2章6—11節にもとづく歌詞です。


 

今月の「おとなとこどもの聖書のおはなし」

 

#日本キリスト教会#室蘭教会#おとなとこどものための聖書のおはなし#イエスさまのたとえ話
     当教会牧師による「おとなとこどものための聖書のおはなし」

教会ってこんなところ

 

主イエス・キリストが十字架の死からよみがえられたのが日曜日の朝であったことから、

この日を「主の日」として、欠かさず礼拝をささげます。詳細▷▷

 

 


 

室蘭タウン情報

 

教会員オススメ スポット

▶亀田浜(鯨浜 リロマモイ)(KAMEDAHAMA[KUJIRAHAMA MIROMAMOI]) フォト▷▷

▶カジカ山・ポロイソ岬(KAJIKAYAMA・POROISOMISAKI) フォト▷▷

▶母恋富士 桜並木(BOKOIFUJI SAKURANAMIKI) フォト▷▷

▶祝津公園展望台(SHUKUZUKOUENTENBOUDAI) フォト▷▷

▶白鳥台北公園(HAKUCHOUDAI KITA KOUEN) フォト▷▷

▶鷲別川堤防(washibetsugawateibou) フォト▷▷

▶幌萌町の大桜(HOROMOECHONOOZAKURA) フォト▷▷


▶室蘭市フォトギャラリー(MURORAN-SHI Photogallery) フォト▷▷

 

教会員オススメ のお店  フォト▷▷